美術工芸シンポジウム報告

大変遅ればせながら…昨年8月に開催されました美術工芸シンポジウム「高校工芸への期待と課題」についての報告がまとめられました。紙媒体でじっくり読みたい方は御活用下さい。

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2015年8月26日、千葉県立幕張総合高等学校において、「高校工芸への期待と課題」と題し工芸シンポジウムが行われました。
その時の模様をここに紹介します。
次の皆様にはパネリストとしてご活躍いただいただけではなく、記録を編纂するに当たり多大なご協力を頂きました。
心より感謝申し上げます。

東良雅人 様
本郷寛氏 様
古瀬政弘氏 様
佐々木理一氏 様
藤田謙氏 様

基調講演  工芸教育に期待すること―初等中等教育における教育課程の基準等の

在り方について(諮問)から考える工芸教育のこれから

文部科学省教科調査官 東良雅人

それではまず話をする前に子供の様子を見てもらおうと思います。(~幕張総合高校の工芸授業で生徒が活動する様子が映像で紹介される~)私はこういった生徒の眼をよく見てほしいんです。特にお家の方とか芸術教育の外にいる方に、このように子供たちがいかに真剣なまなざしで工芸に向き合いながらやっているかということを見てもらいたい。美術や工芸というと出来上がった作品の結果だけが全てだというように考えている方もいるかもしれませんが、工芸教育とは活動の過程における学びが大事なのだということを知って欲しいと思います。

美術、工芸の学びは創造活動の過程にある

時間も限られていますのであまりたくさんはお見せできませんが、子供たちはこのように日々創造活動を通して学んでいるわけです。今日は工芸教育のシンポジウムということなのですが、工芸教育という言葉の意味には色々な意味があると思います。例えば社会教育としての工芸教育もあるでしょうし、また生涯学習としての工芸教育もあります。しかし、今日このシンポジウムでは高等学校教育における工芸教育について考えていきたいと思います。高等学校教育における工芸教育は、共通教科として工芸のⅠとⅡとⅢが設定されていて、Ⅰは必履修になっています。そして高等学校では中学校の学習を基礎として工芸のことを学んでいくことになりますが、そこには学習指導要領という基本的な考え方があります。ただ高等学校の場合は義務教育と違って学校の実態や生徒の実態に応じながら目標を設定するという、かなり幅のあるものになっています。そういった中で工芸を通していったい何を育んでいくのかということを今日は皆さんと共通理解をしていきたいと思います。ここを共通理解しておかないと、それぞれがそれぞれの視点で工芸教育とは云々と言ってもなかなか話がまとまらない。ですから、今日は高等学校教育における工芸教育を今後どのように充実させていくのか、そういったことを考えていく時間になればと考えております。

図工、美術、工芸の学びという、高校だけではなくて小学校からずっと活動を通していく中で、その学びは、創造活動の過程の中にあるということです。先ほどの子供の眼差しを見ての通り、活動を通して生徒が様々な資質・能力を身につける、そこに教育としての大切なものがあるわけです。ただ、これまではその学びをどちらかというと芸術教育というのは出来上がった作品で語ることが多かったように思います。もちろん、作品というのは子供にとって活動の結晶みたいな物ですから大事なのですが、教育という学びの意味からいうとそのプロセスがやはり大事なわけです。

学校教育全体の中の工芸教育

中央教育審議会の構造はこのようになっています。一番上が中央教育審議会、その下に初等中等教育分科会、ここは初等中等教育に関する検討をする部会です。その下に教育課程部会、これは教育課程の内容について検討する部会です。今、議論が積み重なってきているのがその下にある教育課程企画特別部会で、ここは現在、初中教育における教育課程の基準等の在り方の諮問を受けて、新しい時代の学習指導要領の基本的な考え方、指導方法等を検討しています。そしてこの下がどうなっているかというと、現行の学習指導要領の改訂の時は、このように教育課程部会の親部会があって、その中に芸術専門部会がありました。何故このような話をしているかといいますと、教育課程部会の下に専門部会があるということをまず理解しておかないといけないということです。というのは、芸術のための芸術教育をするという側面も持ちながら、教育課程全体の中、他の教科や科目と共に芸術があるのだということです。だから、学校教育全体の中で工芸教育というのはどんな役割を果たしているのかということを考えて示していかないと、いくら芸術は大事ですよといっても伝わらない。やはりその大事さ、子供たちがこれからもずっと工芸教育を受けられ、子供たち一人一人に創造活動の喜びを与えられるような授業づくりを続けていくためには、単に芸術という視点だけではなくて、教育課程の中における美術、工芸、つまり美術・工芸で何を育てるのか、そして他の教科ではできない美術、工芸の特質を生かして何ができるのかということを重々考えていかないといけないということです。そのためにはこういった検討の構造を先生方も理解しておく必要があるわけです。芸術だけが独立して検討しているわけではない、他の教科もこういう並びの中で検討しているわけです。全体の中で芸術はどうなのか、こういったことをしっかり捉えながら、これからの工芸教育について考えていくということが大切です。

1961年の学習指導要領の芸術科の目標

学習指導要領というのは、試案からいうと昭和33年~35年改訂から始まって、戦後6回の改訂が行われました。これは1961年の指導要領の解説ですが、この中の第2節、芸術科の目標をちょっと紹介したいと思います。まず、この頃の目標は今のように一文じゃなくて四つの構成になっていました。一つ目は、「芸術の学習経験を通して、創造性に富む個性豊かな人間の形成を目指す」と書いてあります。芸術の学習経験を通して、というように、この頃から、表現や鑑賞の活動は手段であって、絵をかいたりものをつくったりすること自体が目的ではなく、それを通して人間形成を図っていくのだという、今の学習指導要領とほとんど趣旨の変わらないことを言っているのです。二つ目は「芸術の学習経験を通して、美的感覚を洗練し、芸術的な表現力と鑑賞力を養うとともに、情操の純化を図る」この時すでに、今、総括目標にしている豊かな情操を情操の純化という形で示しています。三つ目は「芸術の学習経験を通して、個人生活や社会生活を明るく豊かにする実践的な態度を養う」要するに、生活の中で工芸の働きを実感的に理解させて豊かな人生を送るとか、豊かに社会と関わるということを大きな目標としています。そして最後が「芸術が、人間性の円満な発達や文化の調和的発展に欠くことのできないものであることを理解させるとともに、国際間の理解や親善に芸術の果たす役割について認識させる」要するに芸術を通した国際理解、そして文化の理解です。今、工芸の伝統と文化の理解ということを現行の学習指導要領では重視していますが、それは決して伝統と文化を知識として教えるだけではなく、日本において工芸とは一体何なのかということを子供たちに考えさせたり理解させたりすることだと思います。しかしそのことは、実はこの時代でも、文化の調和的発展に欠くことができないものという言い方でしてきたのです。

そしてこれを受けて、工芸では五つの目標を示しています。「(1)工芸の学習経験を通して、創作の喜びを味わわせる。」「(2)造型的な思考力と感覚の統合によって、物をつくりあげる創造的な能力を養う。」「(3)工芸の学習経験を通して、工芸、建築などに対する批判、鑑賞の能力を養う。」「(4)工芸の学習経験を通して、生活を造形的な面から工夫改善し、明るく豊かにする実践的な態度を養う。」「(5)工芸、建築文化の伝統や動向を理解し、これを愛好し尊重する態度を養う。」工芸というのは、こういった先人の先生方の知恵が、今の時代まで50数年間、積み上げられて成り立っている。私たちが謙虚にもう一回受け止めなければならないのは、こういった趣旨に示されている通りに、子供たちに一人一人に学びを実感させる授業づくりになっているかということを、もう一回ここで振り返る必要があるということです。

未来を生きる子供たちに必要なこと

これが現行の芸術科の目標です。「芸術の幅広い活動を通して、生涯にわたり芸術を愛好する心情を育てるとともに、感性を高め、芸術の諸能力を伸ばし、芸術文化についての理解を深め、豊かな情操を養う。」これからの社会について考える時、ある有識者の話では、「子供たちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就く」というような未来予想をしています。つまり、今この時点で全く知らないような65%もの職業がどんどん生み出され、子供たちがそういった職業に就くだろうと考えられています。それから、これはマイケル・A・オズボーン(注:英オクスフォード大学准教授でAIなどの研究を行う。論文「雇用の未来―コンピュータ化によって仕事は失われのるか」で注目を集める)ですが、「今後10年~20年程度で、約47%の仕事が自動化される可能性が高い」と言っています。先日の福井大会の土屋公雄先生の講演で、日本はロボット化が非常に進んでいる国だという話がありましたが、それと合致するような話だと思いました。それから、ジョン・メイナード・ケインズ(注:英経済学者1883-1946)の言葉ですが「2030年までには、週15時間程度働けば済むようになる」だから私たちが想像する以上のこういった社会で子供たちは生きていくわけです。さらに、今年生まれた子は平均余命から考えたら2100年位まで人生を送ることになります。2100年というともう想像もできないのですが、そういったこれからの社会のイメージを持ちながら小中の義務教育と高等学校における芸術教育がどうあるべきであるかということを考えていく必要があるのだと思います。

そんな中、例えば先ほどのようにロボットが47%の仕事をしたとしても、人間の持つ主体性とか、ゼロからものを生み出す創造性、そして、何より美しいものを自分の中でよりよい価値として捉えたり、よさや美しさを感じ取ったりする豊かな感性というのは、いくら世の中がロボットに置き換わろうとも決して変わるものではなく、人間固有の、人間にしか持ちえないような力だと思います。改めてこれからの社会の中で必要な能力ということを考えた時に、こういったことを大事に育ててきた教科は何かというと、やはり美術、工芸だと思います。高等学校における美術、工芸が常にこういったことを大事にしながら、子供たちの学びを積み上げてきたのだと思います。このことについては、さっきの1961年の指導要領の芸術の目標を見ても基本的な考え方はそんなに大きくは変わってはいません。勿論時代が違いますから目指すものも違うのですが、全然遠く離れたところに来ているかというと全くそうではない。先人の人たち皆さんの努力が積み上げてきてここまで来たわけです。だからそれをしっかりと守りながら、学校の中の工芸教育でこそ身に付けさせられる、これからの将来、子供たち一人一人の生き方に働くような授業づくり、これを考えていく必要があると思います。

「どのように学ぶのか」「どのような力が身に付いたか」

平成26年11月20日に中教審諮問が行われました。こういったものは全部公開していますので、ぜひ全員の先生方、見ておいてください。中教審諮問と検索すれば出てくると思います。この中にこれからの子供たちの生きる社会に関することが諮問文の中に書かれています。「子供たちが成人して社会で活躍する頃には、生産年齢人口の減少、グローバル化の進展や絶え間ない技術革新等により、社会の変化や職業の在り方そのものも大きく変化する可能性ある」これは、さっきの有識者の予想とそれほど大きく違いません。これからはいろいろなものの仕組みが大きく変わっていくということです。そして「こうした厳しい挑戦の時代を乗り越え、伝統や文化に立脚し、高い志や意欲を持つ自立した人間として、他者と協働しながら価値の創造に挑み、未来を切り開いていく力が必要」こういった力を学校教育の中で育てていく。このことは工芸教育も担っているわけです。だから工芸教育だけが、そこから違ったところにいるのではなくて、その中の一つの教科、科目として担っているのです。その中でこれからはどういうことが大事なのかというと、まずは、「学ぶことと社会との繋がりを意識させる」ということです。だから、学習が、単なる受験ということだけの学びではなく、自分がこれから生きていく上で、いかに社会と繋がりながら、よりよい人生を一人一人が送れるようにするために、そして学ぶというのは、そのことの大きな原動力になるのだということを意識するということ。そして、「どのように学ぶのか」ということ。この知識基盤社会においては、新しい技術革新の中で知識がすぐに陳腐化し、単に暗記したことというのは役に立たないというようなこともたくさん出てくるわけです。だから何を教えるかということも勿論大事なのですが、それとともに「どのように学ぶのか」ということが大事です。工芸教育においてはプロセスを今後重視していく必要があると思います。

そして、「どのような力が身に付いたか」ということを指導者も子供たち自身も把握するということ、これが学習評価という点になります。実は高等学校教育においてはこの学習評価は弱点でもあります。なかなか義務教育と比較すると充実したとは言えない状況があります。そこはしっかりとやっていく必要があります。学校教育において教科、科目であるためにはいくつかの条件があります。一つはその教育の内容が体系的、系統的であるということです。なぜ芸術が高等学校の3年生まで設定されているのかというとその学年その学年で必要だからです。時々小学校で6年間やっているから中学校では選択でもいいんじゃないかという声が出てくることもあります。でもそうではないですよね、小学校で学べることは小学校で学んでいますが、中学生にならないと学べないこととか感じ得ないことというのがたくさんあるわけです。小学校に文化の理解という指導事項がなくて中学校に美術文化の理解が入っているのは、美術文化を興味や関心を高めるだけでなく理解するまでの学習は、中学生位にならないとなかなか身に付かないということがあるのです。高等学校ではさらにそれを高めていくという内容になっているのです。だから、子供たちの発達の段階その時期その時期に、しっかりと系統性を持ちながら学習できるということが教科、科目として必要な条件なのです。それからもう一つは指導したことが評価できるということです。評価できないとこれは教科として成立できないわけです。ここのところはしっかりと押さえて、工芸Ⅰ、Ⅱ、Ⅲとは教科、科目なのだということを自覚してやっていく必要があります。

アクティブラーニング

アクティブラーニングという言葉が頻繁に飛び交うようになりましたが、まだ、これを議論している途中であります。美術、工芸の授業というのは、先生が題材を考えて子供たちに活動をさせるというスタイルを取っています。しかし、ものをつくったり鑑賞したりするといった、活動するというそれ自体が目的ではなくて、そこで育成する資質・能力をしっかり積み重ねて、教科目標を実現していくということだと思います。その時に、この題材というのは、学校の実態や生徒の実態に応じて設定できるということになっています。つまり題材自体は国は示していません。これは子供たちのことを一番よく知っている先生だからこそ、実態に応じた授業づくりができるというふうになっているのです。さてその時に、時々見受けられるのが、活動は考えるのでけれど育てる資質・能力の部分が非常に弱いといった授業です。こういった授業は、活動があって学びがない授業ということになります。活動があって作品は制作しているんだけれど、どんな力が身に付いたのですかというと、そこが対外的にも説明ができないということです。だから、活動が目的ではなく、活動を通して子供たちが何を学び取っていくのか、そこを考えていく必要があるのだと思います。

授業を、子供たちが自転車に乗ってゴールを目指す場面に置き換えて考えてみます。最初は、先生が子供のハンドルを握って自転車に乗った感覚を感じ取らせるような場面です。ある時期このようなことも必要だと思いますが、でもそのままではいつまでたっても乗れるようにはなりません。次にこんな授業です。子供に一生懸命ペダルをこがせて、でもハンドルは先生がしっかり握っていてゴールは先生の行きたいところに行く、というような、こういう授業は時々見受けられます。これだと力はつかないですよね。作品はできるんです、でもそれは先生のハンドルの先にある、つまり先生がつくらせたい作品を子供の手を借りてさせているだけです。それでは、子供たちが自分でハンドルを持って自分でペダルをこいだらそれでいいのかというと、実はそうでもありません。自転車を渡してハンドル握らせ、じゃあ行って来いというのでは、これはただ好きにさせているだけでそこには学びがありません。活動があって学びがないというのはこういう授業のことです。やはり学習ですから学習のねらいというのが先生から示される必要があります。それは先生がしっかりと持っていないといけない。それでは学習のねらいを示して、ハンドル持って、ペダルをこがせたら、それで本当に力が付くのかと言ったら残念なことにそうではありません。というのは、例えばこういう授業があります。道の周りが完全に壁でふさがれていて真ん中しか通れないようになっている授業、これは、材料とか用具の問題が大きいと思いますが、どれだけ頑張っても同じものしかできないような授業、一人一人違うんですがほとんど変わらない。一人一人の個性やよさがほとんど発揮されないような題材。これは結局、先生が答えを示してこういう道にしかいけません、みたいにしているのです。このような授業ではいくら子供にハンドルを取らせても結局力は付かないと思います。だから、学習のねらいに基づきながら子供がその方向を目指し、試行錯誤しながら自己解決をしていく中で、与えられた答えを見つけるのではなく、そこに向けて自分で答えを見つけ出していく、そういった授業づくりが大事だと思います。その道筋は子供によって全部違う、違っていいわけです。そして答えも一つじゃなくてそれぞれの答えがあるわけです。こういった学習を目指す必要があるということです。

これからの社会では、一つの答えを求める学習だけではなく、答えのない課題に取り組みながら、そしてそれに対して自分で答えを見つけ出さなければならないということが求められます。工芸の素晴らしいところは、答えが出たら終わりではなくて、さらにその先がいくらでもあるということです。答えが出たらはい終わりではなく、その答えより、もっともっとよりよい答えを見つけることができる、また、いくつもの答えを見付けることもできる、こういった授業を目指していくことが必要だと思います。そのためには「自己決定の積み重ねを通して自己実現を果たす」という授業の基本的なことをしっかりとやっていく必要があると思います。先生が決定したことを子供が実現する授業ではなく、子供自身が自己決定を積み重ねて自己実現を果たす。美術、工芸は課題解決学習とよくいいますが、その課題というのは先生が与える課題ではなくて、子供たち自身が自分で見つけた課題を解決するというのが美術、工芸の課題解決学習です。ついついこの課題を大人が与えてしまうのですが、活動があって学びのない授業にならないようにしていくことが大事だと思います。

いわゆるアクティブラーニングとは、諮問の中では「課題の発見と解決に向けた主体的・協働的な学び」というように説明しています。だから今の工芸の授業が、子供が自分で課題を見つけてそれを解決するような学習になっているかどうか、そして、子供たちが主体的・協働的な学びを通して工芸で身に付けられる力をしっかり身に付けるような授業づくりになっているかどうか、これを実現していかなければ、工芸はアクティブラーニングですといっても、活動を通した学びではあるけれども、活動を通して課題の発見と解決に向けた主体的・協働的な学びでなければアクティブラーニングとは言えないと思います。ここをしっかり押さえてやっていくということが大事だと思います。

工芸Ⅰの目標

第12回の会議で配られた「日本版カリキュラム・デザインのための概念」では、学力の三つの要素をアクティブラーニングで繫いで身に付けさせるような構造になっています。一つ目が「知識・技能」です。二つ目に「思考力・判断力・表現力等」です。もう一つが「主体的に学ぶ意欲」です。ここで注目すべきは、「主体的に学ぶ意欲」というと今までは「学習への意欲、関心」が主に中心になっていた感じがあると思いますが、検討の中では「主体性・多様性・協働性、学びに向かう力、人間性など、どのように社会・世界と関わり、より良い人生を送るか」こういった方向性を子供たち自身が見つけられるような授業づくりをこれから求めていくということです。こういったことを今まで特に一番大事にしてきたのは、生活と密接に関わり学ばせてきた工芸ではないでしょうか。このことを考えると工芸の役割はものすごく大きいと思います。工芸は、活動を通して子供たちに生活や社会とのつながりを実感させて、真の豊かさとは何かということを学ぶ授業だと思います。工芸Ⅰの目標というのは「工芸の幅広い創造活動を通して」となっています。これは自己の生活、そして社会に対して多様な視点を持たせるということです。単にたくさんのことをやらせるだけが幅広い活動ではなくて、大事なことは自己や社会を多様な視点で見るということです。それから、「美的体験を豊かにし」というのは、自然や生活との関わりから美しさを発見するということで、これは工芸の得意としているところです。そして工芸作品を用いる中での感動、それから美的感受性や創造性、人間理解、そういったものを感じさせるのが美的体験です。単に美しいというだけではないということです。「生涯にわたり工芸を愛好する心情と生活を心豊かにするために工夫する態度を育てる」、美術と違うのは「生活を心豊かにする」というこの文言です。これは工芸にしかありません。だから、自己の思いや使う人の心情、社会や生活環境との調和というようなことを考えさせながら、心豊かにする態度を育てるということです。「感性を高め」とは、自然や生活、工芸作品、人との触れ合いの中から、よさや美しさ、心地よさや快適さ、使う人の気持ちを考えるということです。「創造的な表現と鑑賞の能力を伸ばし」というのは、美しさや機能を求め、新しい意味や価値をつくりだす表現と鑑賞の能力を育てるということです。そして最後に、「工芸の伝統と文化についての理解を深める」工芸が生活や社会をより豊かにする力を持っているということを、子供たち自身に実感を伴って理解させるということ。工芸の伝統と文化を尊重する態度を養う、これは我が国にとってとても大事なことだと思います。こういった目標に示されたことをしっかりと押さえながらやっていくことが、高等学校において美術も必要だし工芸も必要なのだということにつながるのだと思います。

工芸をやりたい生徒が工芸を学べること

なかなかお話ししづらい内容ですが、これは中教審の第7回の配布資料で、各教科、科目の開設状況をお示しします。これは平成25年入学者のものです。工芸は見ての通りで、総合学科では22.2%がこの段階では開設されていますが、普通科においては非常に開設率が低いというのが現状です。僕はこれを何とかしたいというふうに思っています。何より、色々な学校に行くと工芸がやりたいという子供たちもたくさんいるわけです。だから、工芸をやりたいという子供が、高等学校教育において工芸を学べる、そのような共通性だけでなく多様性も大事にしていかなければいけないし、私は私の役割の中で一生懸命にやりたいと思います。先生方ともそこのところを一緒になって共に一生懸命にやっていきたいと思うのです。そのためにも第一義に先生方は授業づくりをしっかりやっていき、生徒一人一人が工芸の素晴らしさや創造活動の喜びを味わえるようにしていかなければなりません。今日のシンポジウムでこれから工芸教育において何をすべきかを明らかにし、ここにいる参加者が一丸となって、次の千葉大会に向けて、工芸教育の重要性を訴える大きなスピーカーになっていけばと思います。

工芸を使うよさを知る

作品を「つくる」ということも大事だと思うのですが、工芸では「使う」ということを知るということも同じぐらいに大事なことだと思います。工芸というのは使う人がいるからこそつくる人がいるわけです。例えば経済の中での工芸が厳しいのは、使う人が少なくなっている、使う価値がわからなくなっている人が増えている、だからつくるというニーズがなくなり、苦しくなっているという側面があります。そこで、いろいろな仕組みの中でつくる人に補助をしようとするのですが、それと同じぐらい大事なことは工芸のよさを知る子供たちを増やすことだと思います。その一番効果的な方法が教育です。教育で工芸を学ぶからこそ、プラスチックの茶碗ではなくて、本当に、こう、手を使ってつくったものでご飯を食べることのよさや素晴らしさ、それは教育でこそ一番学べるのだと思います。だから、つくるという視点も大事なのですが、子供たちが使うという視点を大事にしないといけない。将来にわたってつくるっていう子はそんなにたくさんはいないのかもしれませんが、使うというのは、工芸の場合はほとんどすべての人が使うわけですから。そして、工芸ならではの地域や文化との繋がりということを大事にすることも必要だと思います。

保護者や子供たちの声を集める

それから、もう一つ先生方にお願いしたいのは、子供の声を是非集めてほしいということです。今の子供たちがまず工芸を大事だと思うようにならないといけない。もちろん今の大人たちにも言わなければいけないけれど、今、先生方が教えている子供たちが、工芸というのが非常に必要な教科であり、人間形成に資する大事な教科なのだということをしっかり思えるような授業づくりと、子供たちの声をしっかり集めること。今日配布された資料で私が感動したのは芸術教科のアンケート集計で、保護者や子供たちの声が全部集まっているということです。これは数値で表せるといったものではないかもしれませんが、数値で表すようなものだけに大事なことがあるのではなくて、実は数値に表せないところにこそ大事なことというのはたくさんあるのです。こういったことを、行政という私の立場と先生方と一緒になって、工芸教育をこれからも本当に充実したものにしていければと思っています。今日のシンポジウムが後半どんな話になるかすごく期待していますし、今後の工芸教育の発信になればと心から願っています。これでお話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

 

発表1 高校における工芸教育の現状について

千葉県立松戸高等学校 橋本 光

千葉県の工芸開設の沿革

私が今勤めている県立松戸高校は千葉県の県立で唯一芸術科を持っている学校です。私は油絵が専門ですので学校では基本的には絵画しか教えていませんが、前任校では工芸を教えていました。しかも工芸というのがコース制に近く、選択肢の多い学校で、そこでかなり工芸の勉強をさせていただきました。美工部会の研修会などで工芸の素晴らしさを知る機会を得て、以降、部会の事務局長をする中、工芸を是非とも広げなくてはいけないという気持ちを持ちました。そして、次の千葉大会でも工芸関係の発表をする予定です。

さて、今日は千葉県の高校工芸がどうなっているか全国との比較を交えながら話していこうと思います。まず、配布した「高校造形」の資料に沿って、千葉県の高校の工芸教育の沿革を簡単に紹介したいと思います。

1931年に作業科(園芸および工作)が設置されます。これは園芸および工作とあるように、どちらかというと、工作といっても木工や金工、コンクリート作業などが行われていました。これが最初に工芸が千葉県の教育に入った始まりです。

その後、1943年に芸能科(音楽、書道、図画、工作)ができます。作業科は新しくできた「修練」に引き継がれます。

戦後、1948年に新制高校が発足します。そこでは芸能科図画、工作は自由選択科目となっています。

その後、1951年に学習指導要領が改訂になり、そこで初めて芸能科の指導内容が示されます。しかし、芸能科は教育課程作成の基準は示されるのですが、各学校の実情に応じて柔軟に教育課程を作るということになっていました。芸能科は履修してもしなくても卒業できたために非常に選択が少なかったようです。音楽、図画、工作、書道を合わせても23%という資料もあり、非常に少なかったということです。

そして、1956年の学習指導要領改訂で芸能科図画工作は芸術科美術・工芸となります。そして自由選択教科から選択必修教科となります。全日制普通科においては、芸術科、家庭科、農業・工業・商業・水産から6単位以上が必履修になり、芸術科においてはすべての生徒に2単位以上履修させることが望ましいということになります。ここでやっと選択とはいえ広く履修することが可能となりました。

1960年の学習指導要領改訂公布で芸術科は必修教科となります。芸術については1科目以上必履修となります。ただ、必修となっていますが、履修状況(27県の調査集計)が芸術科履修率は68%です。100%でないとおかしいと思うのですが私にはよくわかりません。また、工芸は1.5%で非常に少ないです。

1963年、県立千葉高校と県立船橋高校に工芸が設置されます。この後順次増えていきます。1968年では6校に増えます。1969年には7校です。

1980年の学習指導要領の改訂の時に、「音楽Ⅰ、美術Ⅰ、工芸Ⅰ、および書道Ⅰのうち1科目をすべての生徒に履修させる」、「すべての生徒に履修させる単位数は芸術は各科目2単位を下らないようにする」、「普通科についてはすべての生徒に履修させ単位数は3単位を下らないようにする」となり学ぶ機会が増えていきます。

1977年で7校。1978年の改訂では芸術は変更はありませんでした。1979年に9校。そのあと順に増えて、1984年には計32校となりました。1985年度の調査資料では工芸設置校は48校となっています。その後60校近くまで増えていきます。最終的には半分近い学校で工芸が開講されるということになります。この間に先輩先生方が本当に苦労されて工芸を開設してきたのがわかります。工芸が専門でない先生たちもたくさんいましたが、研修会をたくさん開いて、非常に努力をして工芸を増やしていきます。その伝統は今も受け継がれています。この夏も四つ実技講習会が行われました。そのうち三つは工芸です。金工のスプーン制作、友禅染め、それと陶芸をやりました。若い人が増えてきたということもあり、引き継いでいくことだと思っています。

全国との比較

続きまして、工芸の開講数の比較をしてみます。ただ、この調査は単純に各県で調査して書いてきたものを集計したもので、実際の数字とはずれがあると思いますが、大体の傾向はつかめると思います。それによりますと全国での工芸Ⅰの開講状況は、大体4%位という結果が出ています。それに対して千葉県では23%ということで、非常に多いです。各都道府県別では、千葉県、京都府、高知県、鳥取県が比較的多いと思います。ただし普通科の学校できちんと開講しているのは少ないです。だいたい工業高校や専門学科の中で開講されていて、普通科でこれだけ広く展開しているのは千葉県ということになるでしょうか。次に教員の数ですが、全国では「教諭」と「それ以外」が半々位です。千葉県は3/4が「教諭」となっています。このあたりを見ても千葉県は恵まれた状況かと思います。先ほど60校近い開講状況だったと言いましたが、1997年あたりから減り始めます。2012年までは右肩下がりで減り続けました。この時が30校位ですので半減しています。そこから若干ですが持ち直しています。工芸の担当者数を見ましても、「専任」が減り続け、そこを「臨任」「非常勤」が補うという形で、「専任」の工芸教員が半減しています。これも2012年あたりから少し増えている状況です。新採用の状況ですが2009年から美術、工芸で毎年5名前後の採用があったのですが、工芸はしばらく0で、2013年、14年と工芸の採用が増えました。千葉の工芸開講状況をもう少し詳しく見てみますと、「現在開講している」が33校23%です。「かつて開講していて現在開講していない」が37校26%です。これも調査で回答があったものだけの数字ですが傾向はわかると思います。半分近い学校がかつて工芸を開講しており、その半分が現在は開講していないという現状です。

陶芸窯、ろくろの保有状況

昨年度(平成26年度)、千葉の陶芸窯の保有状況を調査したのですが、ほぼ50%の学校が窯を持っていることがわかりました。工芸の開講の歴史がない学校にも意外と窯を持っているようです。それで、窯の状態はどうかといいますと、「使用可能」は60%で、「使用不能」または「不明」というのが比較的多い。それからその窯の使用状況ですが、「工芸や美術の授業で使っている」というのが70%で、ほかは「部活動」か「使用しない」ということです。ろくろを見てみますとろくろがあるところは43%で窯よりは多い。「工芸の授業、美術の授業で使っている」のが1/4位であとは「部活動」「使用せず」となっています。ろくろは専門的な技術を要するのでなかなか授業に取り入れるのが難しいのかなあと思います。ただ、ろくろがどんどん使用されなくなっていってそのまま使えなくなっていくという状況があるということです。千葉の工芸開設の状況は他県よりは良いのですが、現在の窯の状況とかを見ていくとあまり楽観はできないかと思います。

次に千葉の工芸選択希望と工芸選択の決定状況です。現在の生徒の工芸の選択希望ですが、希望者の方が決定者より少ない学校はありません。芸術科の中で工芸の希望者が最も多くてそれを音楽、美術、書道に振り分けなければいけないという学校の状況がわかります。

芸術のアンケートと今後の見通し

平成26年度に県内で実施した芸術のアンケートを見ますと、保護者のアンケートで、「芸術教育は必要ですか」という問いに対して、「必要である」「どちらかと言えば必要である」を合わせると97%の方が必要だと答えています。しかも記述による回答では、とても芸術を切望、期待しているということが感じられます。こういう状況を考えていくと、千葉の工芸教育は転機に来ているのかなと思います。このままではまず施設設備がダメになり、工芸の免許保持者が減り、自然消滅していってしまうのではないかと危惧されます。しかし、沿革で見た通り、千葉県の工芸教育は先人が非常に苦労してつくっていったものです。このままにしてしまうわけにはいきません。この数年を見てみますとちょっとだけ上向きの傾向があるので、ここで、工芸施設をもっと使うようにして、工芸選択希望者を受け入れられるように、工芸開設の動きをつくっていき、工芸を是非ともまた元気にし、工芸王国復活を目指していきたいと考えております。どうもありがとうございました。

 

発表2  高大連携による工芸教育実践報告

東北芸術工科大学 佐々木理一

藤田  謙

工芸は重要な人間教育と考える(佐々木理一先生)

東北芸術工科大学美術科准教授 佐々木理一です、よろしくおねがいします。このたびは「高校工芸への期待と課題」というテーマについて、工芸、高大連携についての報告を中心に発表させていただきます。

東北芸術工科大学美術科工芸コースは工芸教育に携わる一員として工芸教育の必要性を再認識、再構築するために、大学の教育現場と高校工芸授業とを繋いでいく試みを始め、教育現場の状況、意見などを把握しながら、

これからの美術、工芸の展望を模索し、提案していきたいと考えています。

まず基本となるのが工芸教育の目的です。工芸は自然科学、社会科学、人文科学などの価値を包括する美術造形分野と言えます。五感を通じて生きる感覚、知恵、生きていくために必要な理論、実践、造型能力を必要とします。工芸を思考し経験することは、人間力を高めることに繋がっていきます。工芸教育は、社会を生き抜く魅力的な人材を育成し、良質な人間社会を構築することを目的と考えます。その工芸教育を普及するための大きな活動として、今回、高校工芸教育との協力体制を構想し、実施することが出来ました。高大連携として、千葉県立松戸高校との協力で、美術も含めた工芸授業を充実させる試みを始めました。

それまでの背景として、大学での美術工芸教育での状況の変化があります。まず少子化による社会現象の影響により、入学者数の推移に不安要素があります。様々な対策によって、若干の増加傾向にありますが、23年間、ほぼ横ばいが続いています。また、最近の入学時点における学生の資質の傾向として、興味が浅い、集中力が足りない、不器用、ビジョンが薄いなどといった学生が以前より増えています。大学の4年間で、多様で密度あるカリキュラム、個人対応などによる総合的実践教育、工芸教育指導を行い、必死な努力の結果、卒業制作の好評、卒業生の活躍、就職率の向上などの良好な成果に繋がっています。しかし、さらに工芸授業の内容を充実させ、社会性ある人間育成を行うための、もっと合理的で理想的な教育システム、方法はないだろうかと検討してきました。

生徒は工芸授業を経験することで、社会的思考力、行動力の向上に繋がり、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力、すなわち人間力を高めることになります。それを多くの高校生に実践してもらいたいと願っています。そう考えて、本大学工芸の施策として、「工芸は重要な人間教育であること」を普及させるために、高大連携による工芸活動を実施し始めました。

という訳で私たちの取り組みを紹介します。それでは高大連携のチーフ、藤田先生よろしくおねがいします。

高大連携による工芸教育実践報告(藤田謙先生)

東北芸術工科大学の藤田です。高大連携で今年から行ってきた実践を二つほど紹介します。

まず、6月に県立松戸高校を対象としたワークショップを行いました。普段高校工芸の授業で行われていないような内容を、金工と陶芸で、希望者参加型という形で行いました。金工は鋳造で「コウイカを使ったシルバーのペンダント」、陶芸は「マーブル文様による器の制作」ということで行いました。ワークショップを行うに当たって、目の前に起こる現象を感得しながら制作するといった内容で行いたいというのが我々の希望で、鋳造という目の前で起こる現象を高校生に体験してもらいたいと思いました。

(中略~この後、「コウイカを使ったシルバーのペンダント」の制作過程、「マーブル文様の陶芸」の制作過程、生徒の実践の様子がスライドで紹介されました。続いて8月に美工部会で行った「スプーン制作」の実技研修の様子が紹介されました。こちらは先生方が授業実践をイメージしやすいように授業形式で実施したということです~)

「スプーン制作」の実技研修では先生方にアンケートを取りました。その中で注目したい点を紹介させていただきます。まず「研修会で得られたこと」について、「授業の導入方法が参考になった」ということでした。工芸の専門家でなくても、技術がすごく長けてなくても行えるという部分で参考になったということです。また「工芸は敷居が高いと思っていたが自分でもできそうだと感じた」というのは良かったと思いました。「本で見て一応わかってはいたのだけれど実際はどうなのかということがわかった」というような意見も頂きました。「普段の授業で苦労されている点、困っている点」という質問では、設備的な問題、導入方法、授業時間、自分の専門外ということでした。美工部会で行っている研修等に解決を求めているのだと思いました。「工芸教育について思うこと」という質問では特に注目すべき回答がありました。「昔は生活の中で学んでいたことを改めて学べる教科」、「他学科で学んだことを総括することができる教科」、「プロセスがあって達成感がある」、「手を動かして工程を考えて制作するということが今の生徒には必要」、「実際に触れ、使えるものを作る」など、どれも最もだと思いました。研修会において私たちがサポートをできるようなことは、これからも行っていきたいと考えています。

高大連携の今後の展開と総合人間教育(佐々木理一先生)

こういった教員のための研修会は、東北地方でも実施しております。というのも、我々美術大学としても魅力ある人材を育成したいという純粋なる思いがあるからです。そのためには高校から大学に繋がっているという現実があり、そこをしっかり繫いでいくためにはどうすればいいのかということをずっと考えてきました。

今回、千葉県の高校美術、工芸授業において、工芸教育への高い需要、あるいは興味を持っているという現状が挙げられました。結果として千葉県から芸術系進学に繋がり、良質な人材が輩出されているという状況を得ています。美術、工芸授業に力を注いでいる結果として、健全な人間教育が成されている状況があると考えます。今後は大学教育への展開を期待するところです。理想として7年教育、要するに高校での教育と次に大学で工芸をより深く学ぶということです。高校、大学と連続した連携授業カリキュラムなども展開したい、できればいいなと思います。そうすれば、美術、工芸の高いクオリティと想定以上の能力開発が可能になるのではないかという夢を持っています。さらに、工芸と人文や科学など他分野との展開なども視野にいれ、新しい時代、伝統から未来に繋がる総合人間教育を実践することも可能なのではないかと思っています。工芸教育の成果として、社会における工芸教育の価値を高め、工芸教育の重要性と意義を再確認させることができると思っています。

現実的には高校工芸教育の実情には多くの課題があると思われます。しかし、高校教員、生徒からも工芸に対する強い要望があるのも事実です。何とかして工芸教育の支援のために協力をしなければならない状況だと考えています。しかし、私たちも本分の忙しさでそのことに多くを割くことはできません。より良い方法で実践し、少しずつ展開していくことで、問題の解決、工芸の将来の展望を期待するしかありません。

「工芸授業の導入から技術指導などサポート」、「設備のいらない、お金のかからない工芸授業の提案」、「意外性のある、特色ある、クオリティの高い工芸授業」、「美術授業内での工芸的要素を取り組む方法」、「導入方法など具体的内容を学習できる説明会」、「他分野との関係を取り入れた授業」、こういった多岐に及ぶ工芸授業教育のワークショップを模索、提案していかなければならないと感じています。今年行った高大連携活動に、重要な意味を実感し、今後も展開し、少しずつでも成果をあげていきたいと思います。

最後に、「工芸は人生を面白くする」これは東北芸術工科大学美術科工芸コースのキャッチフレーズです。五感を通じて生きる感覚、知恵、生きていくために必要な実践的な教養、造形能力が工芸の魅力と可能性だと思っています。高校工芸の内容充実が大学工芸教育へ繋がり、工芸教育が社会に反映することを期待します。以上、東北芸術工科大学、高大連携による工芸教育実践報告から、高校工芸への期待と課題の発表でした。

 

発表3  教員養成大学における美術工芸科としての現状について

東京学芸大学 古瀬政弘

 

東京学芸大学は教員養成大学であり、美術科の工芸に関わるところのカリキュラムについてと、研究室の方で生命科学分野と連携教育実践を行っているので、その紹介をしたいと思います。

東京学芸大学の工芸に関わるカリキュラムについて

学芸大学の教育組織ですが、現在では学校教育系と教育支援系という二つの枠組みがあります。学校教育系というのが初等教育、中等教育、特別支援教育、養護教諭養成課程で、これらの教員免許取得を必修としている課程です。教育支援系とはいわゆる0免課程です。免許取得は選択だという課程で七つのコースがあります。平成27年度では学生定員が1000名程で、学校教育系が825名、教育支援系は185名でだいたい8対2の割合でした。学校教育系と教育支援系(0免課程)の比率は歴史の中で変化があるのですが、平成27年度のカリキュラム改正で教育支援系減少とともに学校教育系が増員されて、この割合になったということです。美術科の教育組織としては、初等教育教員養成課程(A類)、中等教育教員養成課程(B類)、特別教科教員養成課程(D類)があり、D類は高校工芸に関わるところでしたが、平成12年に廃止されました。また、芸術・スポーツ文化課程造形美術教室(G類)というのが教育支援系(旧教養系)にあったのですが、平成26年に残念ながら廃止されました。平成27年度改訂で、G類美術が新しく「E類表現教育」というものに変わりました。「表現教育」というのは演劇表現とともに構成されている内容で、従来のG類美術とは異なっています。

では、各類で何が違うのかというと、カリキュラムで比較すれば、教育基礎科目(教職に関する科目)と専攻科目(美術選修及び専攻に関する科目)に差を付けています。学芸大学では昭和63年から平成27年まで学部改組、改変を5回行いました。昭和63年の時に造形美術教室(G類)が発足し、その時は教育基礎科目(昔は学部基礎科目)がG類では0でした。つまりほぼ美術系大学に近いような形で専攻科目だけを強化し、B類やD類と差を付けていました。平成12年に大きな学部改組があり、ここでD類が廃止されました。その後、平成16年に国立大学法人になるわけですが、その前段階で改訂が行われ、G類で教育基礎科目を履修できるようになりました。G類が少し教員養成に寄っていったということです。D類がなくなった分はG類とB類に受け継がれて行くことになります。専門性を強化する課程としてG類が残り、中学、高校美術・工芸の教員養成を行っていく課程としてB類が存続されます。

(~中略。この後G類美術の標準的な履修モデルが説明されました。特徴的なこととして、1年次より絵画、彫刻、デザイン、工芸、造形芸術学という各研究室に所属して専門性を積み上げていくという内容でした。次に現在のB類の標準的な履修モデルが説明されました~)

では工芸のカリキュラムはどうなっているかというと、学芸大学には木工と金工と陶芸の3つのフィールドがあります。A類、B類では1年生で工芸の基礎的な内容と学校教材に繋がるような内容を勉強し、2年生からそれぞれの専門に分かれて卒業制作に繫いでいくようになっています。A類、B類では「図法・製図」などの授業を選択してとることで高校工芸の免許が取れるようになっています。G類の工芸は1年の最初から専門でやっていきます。

(~中略。この後、例として、金工の工芸カリキュラムが紹介されました。次に、高校工芸の免許を取得する際の必修科目、卒業制作作品の紹介がされました~)

次に工芸研究室の卒業後の進路です。2007年に行った工芸研究室卒業生へのアンケート調査では、小中高の教員が58%、大学専門学校教員が7%で、やはり教員が一番多い。また、26%がデザイン・工芸関係の仕事に就いています。教員養成と美術専門の二つの要素があるカリキュラムの結果ということがわかります。

金工研究室における生命科学分野との教育実践

金工研究室では昔10年ぐらい前から生命科学分野と連携を行っており、様々なワークショップを行ってきたので紹介します。

平成26年度は「青少年のための科学の祭典」というのを行いました。これは理科教育がベースになっているものです。理科教育の方では理科離れに対してどのようにして歯止めをかけていくかということを考えて、毎年このようなワークショップを行ってきました。理科での実験や工作を1日体験でやり、子どもたちに興味関心を持ってもらおうというねらいです。そこに金工研究室も関わってきました。

この時はタイトルが「輝け!珪藻戦隊キーホルダー!!」というものでした。これは金工研究室所属学生に考えてもらいました。小学校向けに受けるキャッチはないかということでこんなタイトルをつけました。ワークショップでは、まず理科学生が珪藻の種類や形とその分布の説明をします。珪藻は河川の上流や下流のあらゆる所にいるのですが、その河川の「立体ジオラマ」を金工の学生が作ります。そしてその中に珪藻(珪藻をモチーフにしたキーホルダー)を埋めておきます。子供たちは珪藻(キーホルダー)を探し出し、それを一生懸命に磨きます。ピカピカにして自分のキーホルダーとして作ります。最後にそのキーホルダーの基となる実物の珪藻を電子顕微鏡で観察するといった内容です。ゲーム形式でやっていくことで自然界の生物の美しさとか生態について興味関心を持ってもらうのがねらいです。勿論、珪藻キーホルダーは金工の学生が糸鋸やドリルで作ります。そのようにしてできたものを事前に錆びさせて黒くし、いかにも石の裏とかにいそうな感じにしておきます。

(~中略。以下子どもたちの活動の様子が紹介されました~)

次に平成24年に行われた「植物アート展」を紹介します。これは工芸制作における自然観察に関わっていくところです。理科でも観察やスケッチをやりますから、理科と工芸が一緒にやっていくことで、理科教育の役割は何なのか、美術、工芸教育の役割は何なのかということを学生同士で見つけ出していくのがねらいです。国立科学博物館筑波実験植物園で作品展示を行いました。同時に「おりがみ絞り染めワークショップ」を行いました。普通のおりがみ絞り染めだけではなく、珪藻の形をモチーフとした真鍮板の金型を自ら制作してもらい、それを組み合わせて作りました。

(~中略。「おりがみ絞り染め」の制作過程と作品が紹介されました。また、金工の制作過程における変化や創造性について、制作途中や完成作品を見ながら説明がありました。そのまとめとして、「解体及び再構成による創造」、「空間認識による創造」、「技法表現による創造」、「素材変化による創造」という観点で考察がありました。~)

観察から作品制作に至るまでの変化と創造について

工芸では、「観察→構想→制作→完成」のプロセスにおいて変化が生じ、それが創造と結びつきます。観察の時には主観的と客観的の振り幅があります。構想の段階では解体・再構成と写実の間の振り幅があります。制作においては初心と熟達の間の振り幅があります。そうやって完成目標に向かっていくわけですが、必ずしも最終が完成目標に一致するとは限らないのが工芸です。完成までの過程で、振り幅に応じたズレが生じます。このズレを如何に修正していくかによって変化や創造性が生まれてくる。あくまでも完成目標は、近いところに着地するというぐらいの意味のこと。これが「頭で考える」ということと、「手で考える」ということの違いです。工芸は「手で考える」ということを表しています。デザインと工芸の比較になりますが、デザインというのは「観察→構想→制作→完成」において最短距離を、すごく合理的に、効率性を求めながらまとめていく分野だと思います。一方、工芸というのは、このズレを如何に創意しながら完成目標に近い着地点に到達していくか、これが工芸制作の中でとても大事なところだと思います。そう考えていくと、「手で考える」というのは図画工作科の造形遊びの考え方に繋がってくるのではないかと思います。そして、図画工作科という学びから工芸へとそれぞれの学年(年齢)に応じた学びを考えていくことで繫いでいけるのではないかとも考えています。

まとめ

東京学芸大学の工芸カリキュラムは何かというと、①道具(基礎的使用法)②素材(特性)③技法(修練)④構成の四つを積み上げていくアカデミックな教育です。それが、教員としての資質として、観察力、段取り力、状況対応力を育てます。観察力というのは、教壇に立った時、子供たちの日々の違いを見抜いていく力。あるいは段取り力は、授業を組み立てていく特に必要な力。また状況対応力といったものが、ものづくりの中で育まれていくのだと思います。また、もう一方において、専門家としての資質として基礎的な造形力を身に付けるということです。

 

発表4 美術大学工芸科における伝統工芸の現状と卒業生の進路から見た高校工芸教育への期待                東京芸術大学 本郷 寛

 

私が工芸を語るのはいささか遠慮があるのですが、今日は工芸教育を少し変わった角度からお話しさせていただきます。今、工芸でどういう問題があるのか。これは高校工芸教育とは違って、工芸界そのものが抱える問題のようにも思いますが、高校教育にも影響を与えているということも事実だと思います。今回、このシンポジウムの依頼を受ける時に、「東京芸術大学の工芸科の学生が卒業後どのようにしているのかということが、高校の工芸教育を考える上で何かきっかけになるのではないか」ということであったので、工芸科にお願いして、卒業後の進路を集計したデータをもらってきました。それを紹介したいと思っています。

芸大内における工芸教育の位置

その前に、東京芸術大学の中で工芸教育がどういう位置にあるのかをお話ししたいと思います。まず、東京芸術大学で、この大会でのテーマとなっている工芸教育という言葉は存在するのかどうかということです。芸大全体としては芸術教育、美術学部としては美術教育、では、工芸教育というのはどこにあるのかというと、大学院美術研究科の中の美術教育というところに、美術教育と工芸教育という言葉があります。ところが、大学院の美術教育というのは芸術学の中の一領域ですから、教員養成ではないのです。大学院の美術教育は、現在、芸術学の美学、美術史、美術解剖学というような研究領域の一つとしてあります。この体制で美術教育の研究室がスタートした時には、絵画科や彫刻科、工芸科の先生(金工や陶芸など)などいろんな先生が協力して芸大の研究領域としての工芸教育をどう立ち上げていくかを考えていました。

あともう一つ、工芸教育が位置づいているのは教職科目です。美術学部の場合は教職センターという組織を作っており、教職課程の工芸に関わる部分は工芸各分野の先生たちが協力して教職の単位を出しています。そこに工芸の授業があり、工芸教育法や、教職課程の中の工芸制作などがあります。これが今、芸大の中で工芸教育が言葉としてあるところです。

工芸科卒業生の進路状況

次に工芸科卒業生の進路ですが、過去15年間の卒業生を調査して今どういう状況にあるかという集計です。作家活動、それから大学勤務、専門学校勤務、企業等に勤務などとなっています。作家活動が65%なんです。就職はあまりしていないということです。実際のところ芸大ではどういうことを評価の対象としているかといいますと、国際展に出品しているとか、そこで受賞しているとか、国外で活躍しているとか、そういう調査をします。また一方の就職先では、製造・ブランド、企画・デザイン・印刷関係、販売・飲食関係(おそらく芸術にかかわった仕事だと思いますが)といったところに就職しています。変わったところで、伊勢神宮に入った卒業生もいます。造幣局や警視庁もいます。特許庁は最近減りました。教育機関では、大学、専門学校、高校、中学校・小学校、予備校、カルチャーセンター等があります。

工芸科の卒業生の進路からみると、工芸科が工芸教育そのものの大切さ、工芸と教育の大切さというものを果たしてどれくらい考えているのだろうかという疑問があります。工芸科では作品を作って作家を育てればいいという考え方が、芸大の場合、現状として強くあるわけです。それで果たしていいのかどうかという問題があります。

これは工芸ですか、デザインですか。これは工芸ですか、彫刻ですか。

さて、工芸を取り巻く状況ということで私の思うところを簡略にお話したいと思います。

芸大の工芸科というのは大変複雑な歴史があります。その工芸科は、昭和50年の改組によって工芸科とデザイン科の二つに分かれます。それまでの工芸科には、実材をあつかう工芸実材系と、図案計画という領域から発展してきたデザイン系とがありましたが、それが分かれて昭和50年に独立した科となります。芸大の、この工芸科の分離にみられるように、工芸とデザイン、あるいは工芸と美術の領域の問題は現在につながるものです。

先ほどスプーン制作のお話がありました。スプーン制作はデザインですか、工芸ですか。どうでしょう?スプーン制作を工芸でやれば工芸になります。デザインでやればデザインになってしまう。ところで、高校の学習指導要領を見ての通り、工芸は科目としてありますが、デザインは美術の中に入っているのです。

今から思えば、芸大の工芸とデザインが一緒のままであったら、高校の学習指導要領も別の展開になったかもしれません。私は、工芸とデザインが分離した後に、彫刻から美術教育の方へ移籍しました。その後、工芸科の先生方と仲良くさせていただきましたが、その当時の工芸科の考え方として「なべ釜はつくるな。」というのがありました。これは、芸大の工芸は美術工芸だという考え方です。ところが、反対に「なべ釜の何が悪い。一番大事なものじゃないか。」という考え方もあったのです。この相反するような工芸観の存在が、工芸科の学生たちがいろんなことを考え出すきっかけになっていきました。それは今も繋がっているのだろうという気がします。いずれにしても、美術と工芸の違い、これは高等学校の内容だけのことではなく、芸術系大学、また作家養成においても大変大きな課題でもあるのです。

(ここで先生は「鳩」と「トカゲ」の実物の作品を持ち出して提示しました。)例えばこれは彫刻の学生が作ったら彫刻ですよね、工芸の学生が作ったら工芸作品ですよね。ここで、工芸の先生はこれをどう評価するでしょうか。これはすごく大切なことなんです。やはり指導者が責任を持って「工芸とは」、「彫刻とは」を示さなければならない場面があるわけです。実はこれは鍛金の作品です。つまり工芸だということです。現代では、工芸のシーン、美術のシーン、いろんなところでこういった作品はあります。美術や工芸の世界は一体このことを子供たちにどう伝えていくのか。これは学校教育だけの問題ではなく、工芸界全体の問題、美術工芸文化の問題ということになると思います。こういうことは、比較的、議論はされてはいるのですが、なかなか方向性が見えてこない。しかし、やはり次代を担う子供たちのために、どうやって工芸の大事さを伝えていくかということを、皆で考えていかなければいけない。もちろん工芸の先生だけの問題ではない。工芸教育を取り巻く工芸家の人たち、社会の中で工芸を扱う人たち、すべての人たちが、これをどう考えるのか、子供たちのためにどう工芸を伝えるかを、真剣に考えることが大切だと思います。

日本の文化を支えているのは教育である

現在のアートシーンでは、油絵や日本画、工芸など専門領域の境界が大変曖昧になっています。それは多様化したということでもあるわけですが、はっきりした差が見えづらくなっているのが現状です。そういう状況を高校の工芸教育に置き換えて考えた時、何を工芸として提示するのか、ということが大事になってくると思います。東良先生がおっしゃった「答えのない課題に答えを出していく、出さなくてはならない課題」ということがあります。このことに対して工芸教育はとても有効だと思います。自己決定の積み重ねを通して自己実現する、正にこの言葉が工芸の制作そのものだと思います。そういうことを子供たちに工芸としてどう伝えていくのか、これを私たちは一緒になって真剣に考えていかなければならないと思います。なぜかというと、工芸文化というのは日本の代表的な文化です。日本は美術も工芸も大変優れた文化をつくりだしてきました。国際的に大変信頼を得ている世界です。

そういう日本の文化を支えているのは何かというと、これは持論ですが、教育があるから文化が支えられているのだと思います。義務教育の中に美術や工芸があるからこそ工芸が成り立っている、こういうことを実は作家たちが認識をしていなかった。ここ数十年、作家たちの世界では様々な新しい表現が現れるなど、いろんな新しい潮流があった。そして作家たちがそれぞれに積極的に新しい表現に取組んだことで、今まであった美術や工芸の表現や考え方の幅が広がっていった、それは芸術分野にとって決して悪いことではない。しかしその反面、今まで培われてきた文化を支えてきた一つが義務教育にあった表現や考え方なのだということを、ついつい作家たちは意識していなかったのかも知れません。それで今は、作家たちも含めて、皆でそういう日本の文化を支える教育の大事さというものを、もう一度考えられるようなきっかけを、いろいろなところで展開していこうとしているところなのです。

工芸の魅力を皆で伝えていく

高校での工芸に希望者が多いのはなぜでしょう。その一方で、工芸をやる学校が少ないのは変ですよね?これだけ生徒たちがやりたいという希望が多いにも関わらず、工芸が閉鎖されているというのは、どこか間違っていると思います。

工芸の授業というのはいろんな形での展開があります。今は、高校生にふさわしい質を持って、活発に展開していくこと。これは絶対に止めたらダメだと思います。ずっと続けていかないといけません。続けていれば必ず次の展開が見えてくると思います。人間みんな、最後に残るのは、手応えであるとか、感動であるとか、ものの力だと思います。人間は、ある時はうっかり忘れてしまうこともあるかもしれないけれども、そういうものは決してなくならない。歴史というのは数十年毎に繰り返すといいます。私の実技の専門は彫刻ですが、昔は、彫刻でこういうものを造ると、「工芸っぽい」と怒られたんです。すると工芸の人は、「工芸っぽいとは何だ」と言ってかんかんになって怒ったものです。それで彫刻の先生は最近までそういう言葉を遠慮して使いませんでした。でも私は使ったほうがいいと思うのです。その一方で工芸の人は、「これこそが工芸だ」と見せればいいんです。それぐらい工芸の魅力を皆で伝えていくということが工芸教育を活発に展開させていくことになるのだと思います。

 

 

意見交換

N.H先生:

千葉県では、工芸をつぶすという現象が20年ほど前から起きています。以前の勤務校でいきなり工芸をつぶすという話になったのですが、その前後に、いろんな学校から同じような話がでました。その時ほとんどの管理職が同じことを言いました。まず1つは、「千葉県は芸術は音楽美術書道の3教科でやっていて、後から工芸は付け足しでやったので、後から付け足した科目を削るのは当然だ」というような言い方。もう1つは、「美術の中で工芸をやればいいじゃないか」ということを何度も言われました。そこで、千葉県の工芸科開設の経緯や指導要領を示して、美術と工芸は違うんだということを職員会議などでちゃんと説明し、皆さんに納得していただきました。ここにいる先生方が同じような立場になった時もきちんと説明できるように、美術と工芸では指導要録の中でどのように違うのか、今一度ご説明いただければと思います。

東良先生:

学習指導要領の構造の中で4科目は開設されているというのが本来は大きな根拠となるわけです。高校教育では、共通性と多様性を大事にするということが前提にあります。その時に、多様性をしっかりと確保するような科目の理解が大事だと思います。

ただ、本郷先生の話は、私にとっても考えていかなければならないことだと思いました。確かに、作品で何が工芸なのかというのは難しい。先生方が一番ご存知のように、デザインと工芸というのは、どちらも、客観的視点に立って発想や構想をし、資質・能力の点でも非常に共通している部分があります。そういった視点で見た時に、作品をつくらせる方の側から、何が工芸で何がデザインかという視点ではなくて、工芸でいったい何を育てようとしているのかということを、まずは指導要領を基にしながらしっかり持つということが大事だと思います。実はこういったことは中学の美術でも起こっています。ポスターカラーで塗ったらデザインです、水彩絵の具で塗ったら絵画ですみたいな、そういうことではないんです。それがなぜ最近になって明らかになってきたかというと、学力の重要な三つの要素が示され、資質・能力の視点で教科や科目を見た時に何を育成するのかということになってきたということです。そうしたら、工芸と、美術の中の一つの分野であるデザインというのは、共通している部分はあるのだけれど、まさしく工芸にしかない部分がたくさんあるというわけです。その部分で、工芸教育では、プロセスを通して何を大切にするのかということをしっかり押さえて、経験を積み重ねていくことが大事だと思っています。

指導要領を見ていただければ、工芸Ⅰの目標と美術Ⅰの目標というのは、比べてみてもその文だけでは大きな違いはありません。しかし、その解説に書かれている、それぞれの文脈のところは全く意味の違ったことが書いてあります。だから、そういったことを美術と工芸をしている先生たちが理解をしつつ授業に取り組んでいくことがまず大事だと思います。そのことが説得力を生むんだろうと思います。芸術の4科目開設がしてある中で、例えば、美術の中で工芸はできませんかという質問はよくあります。これは短期的に見た時に、先生の思いはよくわかるんです、工芸が開設されていなくて工芸をやりたい子がいるので、美術の中で工芸ができないだろうかということです。確かに目の前の子供を大事にするということ、その気持ちはわかるのですが、身近いスパンで考えるとそういったこともどうだろうと思いがちなのですが、それをしてしまうと、もう、工芸という科目はなくても美術でできるんだということになってしまい、結局、これから先長い目で見た時にどうなるでしょうか。大切なことは、なぜ科目をきちっと分けているのかということです。少なくとも私自身は今の構造を絶対に変えたくないと思っています。美術と工芸を一緒にするような、例えば美術の中で工芸ができるようなとか、工芸の中で美術ができるようなといったことには反対です。美術と工芸がそれぞれ科目として存在し、そして、やりたい子がいればちゃんとその科目ができるようにすることが肝要だと思います。そういったところで、安易に、例えば美術の授業だけれども陶芸をやりましたというようなことはこの段階では絶対してはいけないと私は思っています。別の形で工夫できる部分はあると思います。芸術というのは目標は一つなんです。音楽をやっても書道やっても美術やっても工芸やっても芸術の目標の実現を目指しているんです。しかしそれぞれのアプローチの仕方が違うわけですから、美術と工芸とはそのアプローチが違うことからそれぞれを科目として設定しているのですから、そこを大事にしなければならない。そして、工芸教育で何を育てるのかということを一生懸命考えていくことが一番大事なことだと思っています。

S.H先生:

美術の中で工芸はできないということですね。意外とここを間違って安易な気持ちでやってしまったり、生徒が希望しているからということもあるかと思いますが、そこはきちんと分けなければいけないということがはっきりしました。

東良先生:

ただ、何がと言ってしまうとなかなか難しいとこがあります。先ほどのアイスクリームのスプーンが如実にそれを表しているわけですが、何がではないんです。どこがデザインと工芸と違うかと言ったら学習指導要領の指導事項のどの部分でやっているのかという、それに尽きると思います。だから、何をやったらダメというのは難しいんです。例えば、陶芸というところを器のデザインと言ったらどうなのかという話もあります。そういった表面的なことではなくて、本質的にそこで育てようとしているものが、美術の中のデザインで育てようとしている内容なのか、それとも工芸の内容なのか。そこを明確にすることが大切だと思います。

S.H先生:

東北芸工大のレジュメで、「設備のいらない、お金のかからない工芸授業の提案」とあり、これは素晴らしいと思いました。私たちも勉強したいと思いました。他に、「美術授業内で工芸的要素を取組む方法の提案」とあります。これは補足していただいた方がよいかと思いますのでお願いします。

佐々木先生:

率直なところ現実的なニーズに対応した一つの提案です。安易な提案なようにも見受けられますが、今を生きるといいますか、今の子供たちに、工芸的な要素、よさを知ってもらいたい。どんな形でもチャンスがあれば体験させて、それが血となり肉となることだと思います。ですから上位のレベルでの議論というのは時間がかかると思いますので、今の子供たちに向けて、血となり肉となりというようなきっかけを与えたいという問題提起だと思っています。それから、何をして美術なのか工芸なのかという点ですが、美術で陶芸をやったとしても、内容が明らかに美術だと見えるような中で、土と素材と取り組んでどう考えたかという点で工芸的であってもいいかなと私は思っています。

M.K先生:

工芸を教えて感じるのは、今の生徒というのは、生活体験が非常に足りないということです。昔から鉛筆が削れないとかありましたが、本当に何か私たちが想像していないぐらい生活体験がなくて、何でこういうことを気付かないのかなというようなこともあります。全国高等学校美術、工芸教育研究会のなかで、今回、工芸のことを本部提案として出させていただきました。全国を回っていろんな先生方と話をしていると、美術のことは一生懸命やっていらっしゃるのですが、工芸の話になると、関心がないわけではないのですが、「そんなこと言っても、工芸を開設なんてできない」といった感じになってしまうのです。そんなこともあって、本部提案の中で「工芸をやりたい生徒たちがたくさんいる、工芸が開設できないのではなくて、そういう生徒たちがたくさんいるのだから、是非、開設をお願いします」というような話をさせていただきました。そこで質問ですが、先程本郷先生が言いかけて途中で言いよどんでしまったところですが、なぜ工芸が増えないのかというところを差支えのないところでお願いします。

本郷先生:

それは高校の工芸教育の話ではなくて、工芸界の中で若い人がいろいろな場面で活躍していく場がないということです。若い人が育たない工芸領域というのは将来の層が薄くなっていくということです。例えば、工芸が大好きで高校で工芸をやって工芸家になろうと思いました。それが新しい表現であれ、伝統工芸的なものであれ、これはすごくいいことだと思います。ところが社会にその場やニーズがあるかというと、工芸は少ないのではないでしょうか。美術にくらべると工芸は若い人の発表の場が少ないかなと思います。そこで、芸大の場合ですと工芸科の卒業生は、アートフェアとか、現代アートの世界にどんどん乗り出していって、工芸を宣伝しているような形になっています。いいか悪いかは別として、以前、染色を出た学生が、アメリカのアートフェアとか、キュレーターと連携を取って、まずニューヨークで華々しく個展をしました。その時にその学生は自分のことを工芸とは言わなかった。その子は工芸の技術を持って何をやっているのかというと、友禅をしている学生なんですが、洗える絵画だと言ったんです。洗濯ができる絵だ、というふうに言ったら、これがとても受けて、今はヨーロッパでも大変評判がいいということです。でも彼は心の中では俺は工芸家だと思っているんです。そういうふうに若い人がどんどん出ていって欲しいです。ですから、自分は工芸に自信を持って、なおかつ自分から世界を切り開いていくようなことが、これからの若い工芸家に期待するところなのです。それが切り口になればいいなと思っています。それでも伝統工芸の方は以前より増えてきていると思います。それも一つの動向です。伝統工芸は大事だというようなことは、歴史の流れの中で絶対になくならないと思います。だって、工芸って魅力あるでしょ?伝統的な工芸もそうだし、つくることもそうだし、魅力のあるものがなくなるはずがありません。ただ、その受け皿がないのです。社会的な受け皿を作ること、本当は教育の中でも受け皿をつくるべきだと思うのですが、私が話している立場は、社会の中での受け皿をもっとつくらないといけないということです。美術工芸界の責務だと考えています。これが工芸教育にサポートできるところかもしれないとも思っているのです。

M.K先生:

ありがとうございました。私たち送り出す立場として、送り出す責任を考えさせられました。

S.H先生:

受け皿がないという話ですが、材料を供給する側の方でも、すそ野が広がっていないといいますか、そういうところに就職する人もいなくなっていると聞きました。粘土なんかでも、去年でしたか、信楽の方で粘土を生成する業者が二つ閉鎖したというし、唐津でも一つの業者が止めたと聞きました。もちろんそれは作品を買う人がいないということもあり、また中国などで作られてくるということもあるのだと思いますが、そのあたり先生方はどうお考えでしょうか。作家だけでなく、工芸のすそ野を広げるところの材料供給側に関係するところ、膠なんかも顕著です。作る人がいなくなった。渋紙もそうです。というように材料供給側が止めていくというようなことに関してはどうお考えでしょうか。

本郷先生:

同じことが美術でも起きているわけです。先ほどの日本画の膠の話がそうです。私は以前から全日本画材協議会とお付き合いがあるんですが、そこのホルベイン工業の吉村信夫さんが、やはり学校教育は大事なんだとおっしゃっております。吉村さんは大阪に戻った時は学校教育のボランティアのようなこともされていると聞きました。なぜそこまで美術教育を生産側の人が大事だと思うのかということですが、吉村さんはすごくシンプルに、美術教育を自分が大事だと思っており、美術が大好きで、美術の材料を作っているのですとおっしゃっていました。それと、高い材料と安い材料の工夫もしているということです。中国画材が入ってきて、値段の安い中国画材を日本の子供たちや作家たちが使ったとしたら、それは日本の画材業界のいろんなところが潰れます。しかし、その辺のところをどれだけ日本の業界が耐えられるかといったら、それは、ある面、作家の仕事でもあるように思います。作家は安いものを選ぶかといったら、決してそうじゃない、いいものを選ぶ。やはりそういうことの目がきっちりとしていて、安さに惑わされず、いいものを使うのであれば、絶対に必要なものはなくならない。しかし、それは我慢も必要になってくるかもしれません。学校教育の場合は良い材料のみをそろえるのはかなり難しいと思います。費用が限られてくるから。それでも良い材料を生徒に使わせたいですよね。学校教材についても、今度、全画協に話を聞いてみたいと思います。

東良先生:

結論として僕の役割の立場からいうと、つくる人と使う人の両面を育てていくということです。

高等学校教育だけではなく、中学校の美術も従前はそうでしたが、やはり表現にどうしても強い重点が置かれて、鑑賞の授業が、見たり感じたりする学習が充分でない。表現の補助的な役割程度の鑑賞で終わっている。最近でこそ鑑賞の授業が美術も工芸もよくやられる先生方が増え、研究発表でも鑑賞の研究が増えてきているのですが、これまでは鑑賞というインプットの部分が非常に弱かったところがあったのだと思います。もちろん表現の方が時間はかかるわけですから、全体の授業時数の割合の中では表現の割合が大きくなるのは当然のことですが、ただ、鑑賞がその時やる表現の補助的な役割しかほとんど果たしてなくて、工芸のよさとか、生活の中での工芸の役割や工芸の伝統と文化などを、子供たちに実感を伴いながら理解させるとか、そういったところの鑑賞が確かに弱かったと思います。だから、そこのところを見直してしっかりと表現と鑑賞を関連付ける必要があります。子供たちが鑑賞でよさを感じ、今度は自分でつくってみる、自分でつくったことによって、またつくり手の気持ちを実感して、そして今度は誰かの作品を見た時に、作者の心情や、工芸のよさや温かみに深く気付いていくような、そういった学びのサイクルのある年間の指導計画を考えること。これは工芸だけではなく美術も同様ですが、鑑賞の授業を表現と同じように位置付けながらしっかりやっていくことが大事だと思います。それがないと、結局使うというところが弱くなる、使わなくなると作り手が少なくなる。しかしながら、使うことを一番多くの人に学ばせられるのは教育だと思います。高校でやるということ、中学でやるということが、特に中学は義務で全員がやるわけですから、教育の果たす役割というのは、本郷先生がおっしゃっていたような、社会の中での工芸そのものなのだと、ここに強く影響していくのだと思います。だから工芸の果たす役割は大きいと思います。

S.H先生:

材料のことですけども、東京芸術大学の日本画の先生で、紙を漉く人が少なくなってきているということで、学生と一緒に三椏、楮などを山に植えに行き、そこから始めるんだということです。やはりそれ位やらないとダメだろうと。大学の先生には是非その辺を含めて頑張っていただいて、材料と私たちを繫いでいただきたいと切に願うところです。

学生:

東良先生にお聞きしたいのですが、美術と工芸の違いの話です。先程話が出たように、高校、美術Ⅰの目標と工芸Ⅰの目標の、文言としては同じ文言が使われていても、解説の中では意味合いが違うということを詳しく説明していただいてよく理解できたのですが、逆に疑問に思うのは、なぜ意味合いの違う文言を同じような構成で美術と工芸の目標にしているのかということです。美術または工芸の先生であれば解説を読んで理解しているとは思うのですが、当然、他の教科の先生には、差異のない文面であれば美術も工芸も差異はないというふうにしか見えないという問題があると思います。これから次の改訂に向かってご尽力されていると思うのですが、その時に、例えば文言自体を変えて、全く別領域としてやっていくような流れを作っていくようなことはないのか、そのあたりを聞かせてください。

東良先生

まず、高等学校の場合は芸術科という教科の中にそれぞれの科目があるというところが大きな理由です。その中で、音楽というのは、音というのが中核となる要素になるわけです。書道の場合は、書という部分の要素が中核になるのでしょう。美術と工芸の場合は、基本的には色とか形など造型的な要素が中核となって、中核となったものを通しながら、それぞれの活動を通して、芸術科の目標である、正に総括的な目標になる豊かな情操を養うという構造になっているのです。美術と工芸では、造型的な要素というところの関わり方が違うわけです。当然違うわけです。特に工芸の場合は「素材」というところが大変強く出ています。ただ、例えば、美的感覚みたいなところは、それぞれのアプローチの違いの中で身に付くというところもあると思います。芸術科という中と、造型的な要素を中核としているというところは、音楽、書道とは大きく違うわけです。裏返せば、造型的な要素とどういうふうに関わっていくのかという部分を大事にしていかないと、それこそ美術、工芸だけの話ではなく、音楽でも書道でも、芸術科の目標が実現できるのなら一つだけでやればいいじゃないかという話になりかねないわけです。ですからそこはそれぞれの教科特有のアプローチの違い、それぞれの多様性などの違いで、4科目で分けているわけですから、4科目をしっかり大事にしていくということが、今の芸術教育を大事にしていくことに繋がるというふうに思います。

文言についてはなかなか明確に説明しにくいのですが、今までの改訂の流れがあって生まれてきている側面もあります。ただ、一緒ではありません。工芸には「生活の中で豊かに関わる」という内容が入っています。確かに、美術、工芸の先生はわかるけれどもほかの先生にはどうなのかというのは、一つの意見として真摯に受け止めたいと思います。

H.H先生:

工芸シンポジウムを依頼した理由です。まずは今の千葉県の工芸教育はこのままだと危ないぞ、と思ったことがあるのですが、直接のきっかけとなったことがあります。一つは材料が手に入らない、道具が手に入らないということです。もう一つは、私の学校には芸術科があって毎年教育実習生が来るのですが、どの実習生も工芸の免許を持っていないという現状があります。確かに全国を見てみても工芸をやるという可能性は非常に少なく、だから工芸の免許を取らなくても平気ということもあるのでしょうが、工芸の免許を持つ先生がいなくなってしまうと本当に工芸がなくなってしまう、ということがきっかけでした。要望ですが、是非、工芸の免許を取るように大学で声を掛けていただけるとありがたいと思います。

古瀬先生:

東京学芸大学では、免許に関しては先程の話で紹介したとおり、工芸があったところがなくなったことで、表面上では免許がとりにくくなったのですが、今、B類の中等教育の方でできるだけ取るように勧めてはいます。ただし、やはり問題は、ただ免許だけ取るということと、それを実際に教えるといったところのジレンマがあります。カリキュラム上は取っていけるのですが、じゃあ実際にこの生徒が現場に立って陶芸とか教えていけるのかというと辛いところが出てきます。今、全体の1/3位は取らしている状況です。是非先程の意見は反映させていきたいと思っています。

J.H先生:

ご自分では紹介できないでしょうから私の方から。萩野谷先生は陶芸を教えていらっしゃるのですが、コーヒーカップの陶芸を作った時に、生徒たちに必ず最後はお茶を入れて、自分の作った陶芸の作品で味わうということをしていました。鑑賞といいますか、使う喜びといいますか。最後に使うということも授業の中で入れるということは本当に大事だなと、その時拝見して思いましたので紹介させていただきました。

県外の先生:

私も陶芸の授業をする時は必ず最後に使わせます。年度の最後ではなくて、できれば前期末に一度それを経験させて、使い勝手のよさとか改善の余地とか、できれば友達のも使い意見交換をさせています。陶芸は特に一回作ってみないとよさとか改善点とかわからないので、反復するということを必ずさせるようにしています。質問ですが、多分この場におられる先生方は工芸教育に関わっていて授業のスキルも持っておられると思うのですが、工芸を広げるのに具体的に今何ができるのだろうというところで、どうしてもストップしてしまうところがあると思います。私も全高美工研の役員になって全国での厳しい状況を分かっているのですが、何を我々ができるのかというところです。まず、多分、工芸と工芸教育の理解を深めるというところがないと何も動けないということが先程からの話で感じているのですけども、さらに具体的なヒントとかアドバイスのようなものがありましたらお願いします。

東良先生:

非常に率直な意見で、なおかつ、これですべてと言いたくなるほど幅広い質問だと思います。まずは今日言いましたように、教科、科目というのは教育課程全体の中の一つの存在という部分があるので、やはり、工芸にしかできないことを押さえていくことです。それは今日いろいろな先生方の話の中で、例えば感覚を働かすことでもあるでしょうし、勿論自分の手で実際に触れてということもあるでしょうし、それから、「生活の中の工芸に豊かに関わる」部分とかあると思います。そういった中で工芸教育を考えた時、一つ大きなキーワードとなるのが、「生活の中の工芸と豊かに関わることができるような資質・能力の育成」というのがこれからはこれまで以上に大事だろうと思います。また、伝統と文化の理解というのが現行の指導要領に入りました。そこで課題となっているのが、その時期その時期の知識を学ぶことに終わってしまっていて、伝統と文化を尊重するとか、次に自分たちの手で繫いでいこうという態度を養うというところまでは、正直なかなかいっていないということです。工芸の伝統と文化の教育というのは、先人が積み上げてきた創造性を理解するということがあるのですけれど、でも本当に大事なことは、それを自分のこととして生徒が捉え、自分が今の段階で、ずっと繋がってきて今ここにいるのだ、そして自分がこれから先の文化を担っていく役割なのだという、自分と工芸との関係性みたいなものを実感させるということです。文化というのは、生活の中の工芸の役割というのが、過去からずっと積み重なって成り立っていますよね。だから、現代の生活の中でそういった視点を持つこと、そういった「生活の中の工芸に豊かに関わる」ということはこれからとても必要になってくると思います。そのためにはやはり発想や構想もできなければいけないし、技能を働かしてつくるということも、そして鑑賞も、そういった能力を積み重ねる中で、子供が実感するのだと思います。先生がおっしゃったように、一回つくっただけではわからないのだというのはすごく大事なことだと思います。そういった実感を持たせるという視点はすごく大事で、今日の中教審の諮問の中の、「いかに社会と世界と繋がっていくか」正にそういうことに繋がっていると思います。

S.H先生:

教育は先行投資という考え方もできると思います。やはり、触れさせて、感じさせて、それが将来どういったふうに花開くかはわかりませんが、それがないと始まらない、ということだと思います。正に想像力や発想力や構想力、準備や制作や後片付けも含めて、生きる力というところに繋がっていくのではないでしょうか。来年は全高美工研<2016千葉大会>が行われます。そこでまた、いろんな意見が出てくると思います。そしてまたいろんな方が指導助言にいらっしゃると思います。こういう機会はなかなかないので、是非我々しっかりもう一回勉強し直して、そういうことを確認していきたいと思っています。何とか工芸を開設しなければ始まらない。学校の中で1時間でも入れる、ということから始まる。今日来られた先生方、我々も頑張っていきたい、それから大学の先生方も頑張って頂きたい、そしてまた文部科学省のたいへんな仕事の中ですが是非頑張って頂きたい。みんなで協力すれば何とかなる。そう強く思う有意義な1日でした。どうもありがとうございました。

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